小論文添削者の日記〜指導する側の論理と書き方のヒント:2008年05月

ファストエイド


私の住まい近くには公園があり、散歩コースはその脇をかすめる。ここを通るたび、子供がたくさんいてわぁわぁ遊び回っている。先ほど、いつものように散歩していると、泣きながら私を駆け抜けていく子供、そして彼を追う一団がいた。元気のいいことだ、と一瞥したそのとき、泣いている男の子が、ひじをケガをしていることに気が付いた。

見せて御覧、と腕をとって驚いた。結構深い。大きさも赤ん坊の握りこぶしぐらいある。血も止まっていない。こりゃ大変だ、と、その子を連れてすぐそばの児童館に駆け込む。子供軍団も後を追ってくる。「すみません! 職員の方は?! 通りすがりのものですが、子供がケガしています。すぐに水道をお貸し下さい!」

団塊おやじとおばちゃんが出てくる。では、とそばの水道を借りようとしたそのとき、おやじが場所も教えず「トイレのを使え」という。怒っている暇はないのでそれに従う。「いいかい、痛いけど、我慢しな!」と、流水でまずはケガを洗う。うわぁーんと子供が大泣きするので、背中をさすりながら洗い続ける。ここで異物と雑菌を完璧に取り除いておかないと、破傷風が恐ろしい。中途半端では手遅れになる可能性があるからだ。

洗い終わって事務室に戻る。「結構深い、すぐに救急車を呼んで下さい」という私に対し、おやじは「じゃあんたが付き添うのか」という。一瞬ためらったが「いいでしょう」と答える。あんた児童館の職員だろ? 私がやる気のない・・・・・・役人を嫌うのは、この無責任からだ。「しかし、この子の名前も住所も知らない。」と付け加える。そこで男の子に、「君、名前は? 電話番号は?」名前は答えたが電話は知らないようだ。これでは親御さんに連絡の取りようがない。

おやじが子供軍団に話を聞き、連絡先を突き止めようとする。では私は応急処置を、と男の子を振り返ると、おばちゃんが止血しないままマキロンをぶっかけている。傷にしみた男の子は、激痛に泣き叫ぶ。ところがおやじは男の子に、「これは消毒だから。」とかなんとか言って偉そうにしている。加えておばちゃん、悪名高きキズ××イなんか噴霧しようとする。

残酷きわまりないし、とんでもなく間違った手当だ。けがややけどの応急処置とは、まず患部を十分に洗って感染を防ぐこと、そして止血し、早く患部を保護し乾燥を防ぐこと(ドレッシング)だ。止血もなしに消毒すれば、かえって症状を悪化させ、患者にいらぬ苦痛を与え、しかも後遺症をひどくする。無知だからといって、痛めつけたり、傷を悪化させて良いわけがない。

しかし私は、見知らぬ子供だから、口出ししようかどうか迷った。とりあえず泣き続ける子供と視線の高さを合わせ、その手を握り、背中をさすって慰め役に回る。子供は不安がって、「死んじゃうの?」と聞く。「大丈夫。死にはしない。」「治るの?」「治るさ! ちゃんとお医者さんに見てもらえば治る。」「痛いの? 縫ったり切ったりするの?」「う…いいかい、それはあるかもしれない。でも治すためにはやらなきゃならないんだよ…」と言うそばから、ぼんやり突っ立ったままのおやじが怒鳴る。「子供を不安がらせてどうするんだ!」

「伝えるべきは、伝えねばならない。」「何を言ってるんだ。私は子供と何十年もの経験があるんだ!!」
子供にケガは付き物だ。まともな応急処置も知らないで、何一つ手当てに関わらないで、何十年が聞いてあきれる。私がやる気のない・・・・・・役人に腹が立つのは、無能無為のくせに権限だけ握って威張るからでもある。

このままでは、この子の苦痛はますます深まる。この状況でこんな乱暴な手当をされれば、アナフィラキシーさえ起こしかねない。そうなればこの子の命に関わる。
もうしょうがない。私は懐から、救急救命技能証を出して見せる。
それを見たおやじ、「あ、あんた、そういう関係の人?」「消防庁で訓練を受けています。」黙らすためにそう言った。ま、正確にはその外郭団体でだが、それはどうでもいいことだ。

「さあ、もう一度洗おう。痛いけど、あと一度だけ我慢するんだよ。」と、水道の所へ連れて行って洗い直す。事務室に戻ると、私はいつも持ち歩いているファストエイドキットを取り出し、感染防止手袋をはめて、止血し、ドレッシングした。それを見たおやじ、とたんに私を先生々々と呼ぶ。冗談じゃない。私は医師でも何でもない。たった一日の訓練で資格が取れる、上級救命技能者に過ぎない。私がやる気のない・・・・・・役人を毛嫌いするわけは、権威の前にはやたらと卑屈になるからでもある。しかもこんな権威とも言えない些細なことに。

おばちゃんが親御さんに電話をかける。するとおやじ、親御さんへの説明を私にしろと言う。そりゃあんたの仕事だろう、私はタダの通りすがりだ(民法698条の緊急事務管理を知った上で言っている)。しかも親御さんには、「早く来て下さい」、それを伝えれば十分なはずで、私の出る幕ではないはずだ。と言っても無駄だから黙っていたが、私がやる気のない・・・・・・役人にうんざりする原因は、怠け者で臆病で、他者に責任をなすりつけるからだ。しかたなく受話器を取って事情を説明し、来てもらうことにする。電話を置き、泣きじゃくる子供をゆったりと椅子に座らせ、手を握って背中をさすり続ける。おやじは近くでぶらぶらしながら、文字通り薬にもならないごまかしを子供に言う。

やがて子供の母親と祖父母がワゴン車で到着。大してあわてた様子もない。私を見て、母と祖母は軽く頭を下げたが、児童館おやじ同様、団塊とおぼしき子供の祖父は、へらへら笑っている。男の子にケガさせた実の兄は、処置中名乗りもしないで逃げ去ったが、このときは戻って、何をするでも言うでもなく、ぼんやり突っ立っている。

あほらしい。私は医師への引き継ぎ事項を伝え、その場をあとにしようとした。ところが児童館おやじは「先生、名前を名前を」という。祖母らしき人も「電話や住所を」と言う。ずいぶん迷ったが、名誉欲に負けてしまい、やむなくメモ書きして渡してしまった。迷ったというのは、何か問題があったとき、よきサマリア人法のないこの国では、いったいどんな責任を負わされるか、わかったものではないからだ。今でも後悔している。
(帰宅後これを書いていたら、子供の母親から、隣家から猫を借りた程度の、通り一遍の挨拶電話がかかってきた。おそらくそれで終わりだろう。ああよかった。男の子も無事、医師の診察を受けたようだ。)

あほらしかろうが災いが降りかかろうが、私は今後も救急キットを持ち歩くし、倒れたお他人様を手当てするだろう。それがインテリとしてのエートスだからだ。善意によって、何かを誰かになしたとき、「余計なことしやがって」と訴えられる世の中だとしても、ただの傍観者でいるならば、私は何のために生まれてきたのだろう。
そのときたまたま着ていたパーカ。背中と胸のスターオブライフを見れば、着ている者がどんなヤツか想像出来ると思うのだが。私がやる気のない・・・・・・役人を軽蔑する理由は、魯鈍で不勉強だからでもある。もっともJPTECはトリアージの普及団体だから、あまり関係はないが…。
ちなみにWIEでは今年度から、全社員に救命技能資格の取得と、ファストエイドキットの常時携帯を義務づけた。インテリが社会から嫌われるのは、やる気のない・・・・・・役人同様、社会に対する冷笑的態度ゆえと私は思うが、WIEが社会に受け入れてもらえるためには、今のところこれぐらいしか手段を思いつかない。

2008年 5月 24日 [Sat]

ヨラバ斬ル


小論文にかかわらず、あらゆる文章の根っこはことばだが、1つのことばに多様な意味と、いわく言い難い「思い」のようなものが含まれていることがある。この事情は「ニュアンス」と表現されることが多いが、人があることばを聞いたとき、それが意味する中心的語義だけでなく、なぜに無意識に、ことばの周辺にまとわりつくある「感じ」を湧き起こすのか、それをちょっと考えたい。

日本語では、誰かを排除する際、「あいつを切れ」と表現することがある。無論こんにちでは、刀を振りかざして実際に、人を斬殺するわけではない。しかしことばでは確かに、人を「切る」のである。

私は語学が不得意なので、他言語の事情は知らないが、英語で言えばcutにあたることばを、このような場面で使う言語は珍しいのではないか。得意の方はぜひ教えて頂きたいのだが、少なくとも日本語では、「人」+「切る」の組み合わせが、さほど珍しくなく普遍化していることは間違いない。

この事情を考えるとき、小論文の思考ツールとして必須の、時間軸、空間軸の機能を用いたくなる。時間軸で考えれば、我々日本人が、過去にどれだけ人を「切(斬)ってきた」かに思いが至る。

自国史に関して、どれほど過去まで思いをさかのぼらせることができるか、すなわち、自分が体験したことのない遠い過去の風景を、頭に映像として思い浮かべ、それが今の自分とどれほどつながっているかといった想像の程度は、人により様々だと思う。

私は歴史を専攻したから、何とか縄文時代ぐらいには至ることができるが、これは変人珍獣のたぐいであって、一般的にはそうではあるまい。たった半世紀前、日本とアメリカが戦争したことすら知らない人に、驚くべきではないというのが正しい態度だろう。これは教壇に立ってみると、あるいは放浪の経験を持つとよくわかる。

以前この題で友人と話したとき、今の自分の時間的な根っこを、江戸時代にまでさかのぼらせて止めるのが、この社会では一般的ではないかとの示唆を受けた。なるほど私もそう思う。西暦何年ごろの人かは知らなくても、黄門様の印籠は誰でも知っているし、裁判官が半裸になって判決を言い渡すという珍妙な風景を、「江戸時代」ということばと共に記憶している人は、社会の大多数だろう。

水戸黄門であれ遠山の金さんであれ、そこで展開される光景は何だろう。それは、ちょんまげや裃(かみしも)姿、町娘の帯くるくるかもしれないが、時代劇の醍醐味はやはり殺陣(たて)である。

黄門様だって、さっさと印籠を出していれば、けが人が少なく済むものを、介さん格さんそしてお銀にまで、悪代官とその一党を、刀を振り回して懲らしめさせねば、見ている方の気が済まない。萬屋さん演じる子連れ狼だって、あとで派手な立ち回りがあるとわかっているからこそ、真っ黒に墨を塗った顔から発せられる「ヨラバ斬ル」という重低音に、見ている私はぐっと来るのである。

武士とは好ましき者である、日本人にとって、1つのあるべき姿であるという感覚は、ことによると明治以降、政権によって植え付けられたものかも知れないが、それでも時代劇の人気が衰えないことは、武士と、その象徴である刀にむけられた、日本人の肯定的な評価を、説明するに十分だ。

これは、江戸時代を引き継いだ明治の代に、いったんは下火になったように見える。旧弊打破、それが当時の金看板だったからだ。ゆえに日清日露の戦役でも、将校は日本刀ではなく、銀色に輝くさやに収めた、西洋風のサーベルを下げ、戦場で敵を斬ってきた。

その後機関銃や戦車の登場、騎兵の衰退という事情によって、刀剣の持つ兵器としての価値は下がってゆき、それに伴い世界各国の軍隊は、戦場ではおろか平時にも、将校に帯刀させないようになっていく。ナイフや銃剣ではない、長い刀を帯びることは、どこの近代軍でも将校と騎兵の特権だったが、騎兵は消え将校もまた、長刀は儀式の際に、礼装と共に帯びるものとなった。

ところが列強の中で、我が国だけは事情が違った。陸軍将校は相変わらず長刀を帯び続けたのみならず(海軍士官は短剣)、その刀も洋式サーベルではなく、日本刀すなわち軍刀に変わったのである(九四式軍刀、昭和9-1934年)。

確かに、戦闘の様相が塹壕戦から、ゲリラ的な接近戦に変わっていく当時の状況では、刀剣の持つ兵器としての価値には、一定の評価があってしかるべきだが、他の列強がそれに対して短機関銃(サブマシンガン。兵士が持ち運べる軽量の機関銃というより、連射機能のある大型拳銃、すなわちマシーネンピストーレと捉えた方が分かり易い)や火炎放射器で応じたのとは、まるで時代に背を向けた形になった。

昭和10年代にはすでに、肉弾よりも近代兵器の質と数の方が、勝敗の決定要因となっており、戦場に飛行機や戦車は不可欠になっていた。そのなかで長い軍刀を下げた帝国陸軍は、狭い機内や車内で、刀を持ち扱いかねたに違いない。しかしサーベルから軍刀への変更が、多分に精神主義的なものであっただけに、改めることは出来なかったのだろう。

第二次大戦中、帝国陸海軍で用いられた、軍刀を70センチほどにつづめた航空軍刀なるものが、今日でも残っているが、そうまでして窮屈な操縦室に、刀を持ち込んだ事実は、いかにそれが実用ではなく、心の問題だったかを物語る。これでは負け戦ばかりになっても、むしろ当然と言えるだろう。

敗戦によって日本人は、再び武士的なるものや刀に背を向けた。しかしそれは長く続かなかった。それゆえの黒沢監督黄金時代、それゆえの時代劇人気である。無論、暴力団が抗争の際、刀を振り回しているところに出くわせば、誰でも逃げるが、「あいつを切れ」と表現するような、手袋越しの現実では、刀の機能である「切る」ということばが、さほど抵抗なく受け入れられる。「排除する」という中心的語義のまわりに、これだけの事情があるとすれば、それはむしろ当然だろう。
「切る」ということばだけを頼りに、どこまで文章が書けるかやってみた。我ながらできの悪い…。

2008年 5月 17日 [Sat]

お前なんかいらない


今回は小論文を書く前提となる、現代社会への理解に関して私見を述べる。

近代の理念は、人間を集団から分離して個人とし、同時に競争による進歩を目指した。すなわち、人は個人として他の個人と競争し、勝ち残っていくべき存在となった。ゆえに個人が協働するのは、あくまでも個人の生存と発展を目的とするのであって、集団の利益など、本質的には個人にとってどうでもよいものとなった。

これは近代の鬼っ子である、全体主義やその変形である社会主義でも変わらない。「祖国のため」「民族のため」「革命のため」というスローガンに突き動かされて、多くの人々が血と汗を提供した結果何が起こったかは、歴史に見ることができる。すなわちナチズムや昭和前半の我が国は、戦場での死屍累々の上に、党エリートや文武の高級官僚という特権階級を生み出したし、ソ連型社会は実は強固な階級社会で、ノメンクラトゥラと呼ばれる赤い貴族が、「反逆者」の血の池に浮かびながら、社会の財を独り占めすることになった。

彼らに従わないものがどのようになったか、これらの社会には必ず、強制収容所や恐怖を与え続ける特務機関が用意されていた。つまるところ、こうした特権者個人のための社会であって、彼らにとって集団は搾取の対象であり、その後ろめたさから、後ろ暗い施設や組織を必要とした。近代の基本理念である平等も、搾取される側に適用されるのみ、すなわち特権階級に搾取されたあとに残った、貧しさを分かち合う平等であった。

この事情は、西欧的近代に従う諸国でも見られた。戦間期、西欧やアメリカでも統制化が進み、ファシストへの一定の支持があったことを忘れてはならない。ただし、それらの社会は全体主義を、形を変えた搾取の装置と看破したか、個人の自由により重きを置いたため、この事情は幾分緩和された。

第二次大戦や冷戦の結果は、全体主義がまやかしの近代、すなわち集団に属する個人を決して幸せにしないことを証明した。そこで個人は大手をふるって、競争にいそしむことを是認されるようになった。その結果、人は他者を利用するための存在としか見なさなくなり、法に触れさえしなければ、どのように取り扱おうと自由だということになった。

それは最も近代を体現するアメリカで、顕著な事例を提供することになった。例えば離婚である。愛が終わる、それは悲しいながら仕方がない。しかし人が人を自由で平等な人格と認め、友愛を感じるならば、痛みをそれぞれが抱えつつ、出来るだけ互いの苦痛を減じるように別れるべきだろう。しかしそうはならず、子供を養育するわけでもないのに、元妻は元夫が一生抱えねばならないほどの莫大な慰謝料を受け取り、自分はその後安楽な人生を送ることが可能になった。

同様の事情は、我が国にも見ることができる。会社ではよく、仕事は出来る人の所に集中するという。多くの組織人は、こうした出来る人にぶら下がって生きているのだ。なにゆえかと言えば、仕事からは出来るだけ逃げ回って、報酬のみを受け取るのが、個人にとって最も合理だからだ。ではより大きな荷を抱えた者が、それに見合うだけの見返りを得ているかと言えばそうでない。荷を押し付けた人々から、十分な敬意と感謝を受けているかと言えばそうでない。そればかりか時に、嫌悪の対象にさえなっている。

確かに荷を負う者の給料は、ぶら下がる者より多いかも知れない、しかし仕事を押し付けている誰もが、押し付けていることを当たり前だと感じているばかりか、時には全く無関心であったりする。感謝されない、むなしいと感じた荷を負う者は、やがてつぶれていくしかなくなるが、逃げ回る者は、それに後ろめたささえ感じない。後ろめたくなければ、人は最も残酷になる。

より多く他者を食い物にするのが勝者であり、強者ゆえに善と見なされるようになった。他者はまさに路傍の石であり、利用価値がなければ無関心でいることが正しい振る舞いとなった。ゆえに人間の自己研鑽は、はじめはひたすら自分の機能を高めることだったが、後には合理化・効率化のかけ声に支えられ、いかに他者を食い物にしつつ、それに当然伴うべき精神的負担を感じずに済むか、すなわち支えられている事への無関心を養うことに、主眼が置かれるようになった。

その1つの方法論は、がんばっている人は、「個人」として「勝手にがんばっている」のだから、自分には関係ない、というものである。これには、近代の理念である「自由」の裏付けがある。また、人間は「平等」なのだから、食い物にされるような存在になるのは、まさに当人の能力や努力が、劣っているという理屈にさえなる。そのような者は虫けらであり、つぶれて競争の中で落ちこぼれても、それは仕方がないし他者たる自分には責任がないというわけだ。

確かに人は生き残っていかねばならない以上、社会のあらゆる場面で、合理化や効率化は避けられない。しかしたった1つだけ、決して合理化してはならないものがある。それは、人と人との関係だ。これを合理化するなら、人や集団は、他者を機能を持った物体としてしか見ず、消耗しつくし、次々と取り替えながらつぶしていくようになってしまう。しかし人間を消耗することは、人道として許されない。「モダンタイムス」が語るのは、まさにこの事情に他ならない。

しかも、誰かがこの重い荷を負わねば、大小の集団や社会は崩壊するほかなく、ひるがえって人を食う人々を、足下から打ち倒す。「情けは人のためならず」という先人のことばは、今でも決して無効でない。成果だけはしっかりと受け取っておきながら、この当たり前の理屈に気が付かない人々は、いつかはそのツケを支払うことになる。それは荷を負う者にとっても、逃げ回る者にとっても、共に不幸な関係であり、従って現代的に洗練されることが、いかに自分のためにならないかは、日を見るよりも明らかだ。

ゆえに、近代の卸元と言えるフランス人は、「自由」「平等」とともに、「友愛」を基本理念に据えた。言い換えるなら、彼らの見るところ、3つが揃わねば近代ではないのである。この3つの理念は、確かに安楽な生活を送る者たちが、サロンの中で生み出したものには違いない。しかし手袋越しにしか社会をつかめない彼らも、それまでの人類史、すなわち人道を踏まえていたのだ。ゆえに、「自由」「平等」のみでは、恐るべき社会ができあがることを、知っていたに違いない。

インドで絶望的な社会の貧困と、生涯闘い続けたマザーテレサ師は、人間にとって最大の不幸とは、戦争や貧困ではない、「お前なんかいらない」と扱われることだと述べておられた。無意識無関心に取り扱われる、すなわち友愛の欠如こそ、人を不幸に追いやるというのである。このように、神のしもべとして生きた彼女と、神を殺して成立した近代とが、同じ理念を共有していることを、軽く考えるべきではない。「人生に必要なものは、勇気と想像力、そしてほんの少々のお金」というチャップリンのことばは、今なお真理である。

2008年 5月 11日 [Sun]

総合芸術


私の郷里には「まわしをする」という言葉がある。「準備する」の方言である。例えば出かける際、親が子供に「早くまわしをしなさい」というように使う。言われたこどもは無論出かける準備をするのであって、お相撲の格好をするわけではない。しかし他地方の人がこれを聞けば怪訝な顔をし、意味を聞いて吹き出すかも知れない。

小論文を書く際に、概念規定、すなわち用いることばの意味を明確にしておかねばならないことは言うまでもない。これはあらゆる場面で有効になる。すなわち、書く際に自分が用いたことばの意味はこうですよと、読み手を想定しつつ、ことばの意味がわかるよう注意するばかりではない。課題文や設問文に何が書いてあるか、それはいかなる意味でどのような作業をせよと求めているのか、それを正しく読み取ることもまた、概念規定と言うことができる。

ただし小論文試験で読む課題文の書き手は、必ずしも概念規定を明らかにする人ばかりではない。むしろ難解な文章を受験生は読まされることが多い。中には、文法的におかしかったり、論理破綻した課題文さえ見受けられる。それでもなお、合格する小論文を書くために、受験生は課題文を概念規定しつつ読まなければならない。ではそこに求められるのは何だろうか。その1つは知識であり、もう1つは練習量である。

前者について考えてみると、書き手にとっての概念規定とはどこまでか、これに思い至る。書き手はたいていの場合、どのような読み手かを想定して書くことになる。例えば書き手が学者であり、学術論文を書くのであれば、その学問分野の専門用語には、いちいち概念規定などしない。そんなことをすれば、読み手である他の学者たちは、首をかしげて「枚数稼ぎか?」と感じるだろう。そしてその論文に、低い評価を付けるに違いない。

しかし、中学生向けの啓蒙書を書くとしたらどうだろうか。専門用語には丁寧に説明を付け、論理の進め方はゆっくりと、段階を細かくして、書いていく必要があるだろう。「こんな事ぐらいわかるだろ」とばかりにこの手順を怠れば、書店で立ち読みした人は読む気をなくし、版元は返品の山に頭を抱えることになろう。

ひるがえって小論文の課題文に戻れば、受験生は受験先の要求する程度の知識を求められていることになる。すなわち、この大学で学びたいなら、この課題文を概念規定しつつ読むことが出来るように、なっておいて下さいねということである。その基準は通常、高校で習う各教科の範囲になる。ゆえに大学側にとって小論文試験は、一般教科の試験を兼ねており、知識の分野を、同時に測ることが出来る試験形式と言える。

ゆえに、合格する小論文を書けるようになりたいならば、各教科について普段の勉強を、怠ってはいけないということがわかる。ただし難関校の小論文入試となると、それだけでは不足すると言わざるを得ない。では加えて何を学ぶべきかと言えば、志望先の学問分野に関して、入門書・一般書を月1冊以上読んでおくことになる。

その本を選ぶための入り口は様々だろう。あるいは毎日書店や図書館に通い、気に入ったのがあれば買ったり借りたりして、手元に置いて読むのもよい。しかし私はむしろ、新聞を毎日読むことを勧める。新聞には、志望先に関わる記事が、いずれ必ず掲載されることになる。そこに書かれているのは最新事情であって、その背景や、それこそ概念規定までは書かれていないことが多い。ゆえにそれが切り口となり、ネットで情報を検索したり、書店図書館に本を探しに行ったりと、学びについての練習量を重ねることが出来る。

しかも新聞を読むことには、興味の間口を広げるという効果もある。読み続けるうちに、興味の対象が変わり、志望先を変えることがあるかも知れない。それは全く無駄ではない。なぜかと言えば、難解な小論文を書けるようになるほど、以前の志望分野には興味がなかったということの、発見に他ならないからだ。

小論文を学ぶことは、狭い範囲の知識を積み重ねることではなく、広い分野の知識、広い分野の経験が必要になる、いわば総合芸術の訓練だ。ゆえに安易に書けるようにはならず、そのためかなりのモチベーションが要求される。その息が切れないようにするためにも、自分はこの先何を学びたいのか、そしてどのように生きていくのか、わずかでも、切り先鋭く考えておくのは、いずれ有効な恵みをもたらすことになるだろう。

2008年 5月 10日 [Sat]

食いもせで


小論文の合格答案を書くには、設問の要求に必ず応えなければならないことは繰り返し述べてきたし、これからも述べるだろう。これは、「自由にのびのびと書いていい」作文や随筆と、小論文との境をなす決定的な事項だからだ。ゆえに合格したければ、とにもかくにも、小論文の出題者側が設定した規則を、正しく読み取り正しく実行しなければならない。

しかし、このように相手の事情に対し、あたかも奴隷のように従うことには、反論があってしかるべきだろう。小論文を、自らの考えを表明する文章と捉えるなら、自らの考えのままに書きつづってどこが悪い、というのも一理あるからだ。たとえばこのように。

--以下引用--
確か小学校の二三年生の頃、僕等の先生は僕等の机に耳の青い藁半紙を配り、それへ「可愛いと思うもの」「美しいと思うもの」を書けと言った。僕は象を「可愛いと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実だった。が、僕の答案は生憎先生には気に入らなかった。
「雲などはどこが美しい? 象も唯大きいばかりじゃないか?」
先生はこうたしなめた後、僕の答案に×印を付けた。
--引用ここまで。芥川龍之介『追憶』二十五 答案/漢字仮名は現代のものに改めた--

ここでの文章は確かに小論文ではない。しかし従うべき原則はあるのだという事情に変わりはない。それはさておき、目の前の子供が後年の芥川先生だと知っているなら、この小学校の先生も、恐れ入ったことだろう。ゆえにこの先生は、あたかも愚か者のように見えるかもしれない。子供の自由な発想を、自由に書かせるべき場面で、その自由な結果に×をつけるとはなにごとか、しかも芥川ならなおさらだ、というわけである。

神ならぬ身に将来がわかるはずがないという真理は、ここでは問題としない。問題なのは、この先生は愚かに見えてそうではないことにある。学ぶということはまねることであり、そこにはおのずから、従うべき規則がある。何を美しいとすべきかについてさえそれは例外ではなく、小学校ならなおさらだ。子供の自由に任せているなら、小学校は無秩序に陥り、集団生活ができない子供をこしらえてしまうことになる。

仮に秩序なるものが忌まわしいものとしても、美しくないヤツはいたぶってやれという、よく見られる地獄絵図をとどめるのは、何を美しいとするかの規則を、徹底させ従わせることにしかない。教師は教えることでご飯を食べている。教えるべきことを教えないなら、それは怠惰と言うべきだ。児童生徒は、教わることに存在意義がある。それを厭うなら、やはり怠け者と言われても仕方がない。

続けて教わる側の論理を見れば、やはり規則をいったんは受け入れるべきだ。規則を正しく理解し正しく実行してみない限り、規則そのものを批判することはできない。現実にはあり得ないおばけの存在を否定し、それを小馬鹿にすることが簡単なのは、理解する手間さえ必要がないからだ。ましてや、小論文で課される規則はおばけではない。先人が努力の末見いだした、学問とは、あるいはそれを学ぶとは、このような原則に従うという大系に則っている。それを受け入れることを拒否するなら、知の世界、すなわち原則そのものを疑うことが許される、大学に入れないのは当たり前ということになる。

ゆえに、小論文を書く者としては、やはり示された規則を正しく理解し、正しく実行せねばならない。ことは、合格するかどうかという、実利の世界にかかっているだけではない。もし批判したいなら、大学に入ってからで十分だ。確かに、大学生かどうかは、批判能力があるかどうかの、決定的な指標ではない。しかし個人で師匠についているならともかく、学校という集団で学んでいることを考えるなら、自分は特別扱いせよという要求には、それ相応の努力と運が必要なことを、覚えておいて損はない。

(2008年 5月 6日 [Tue])

黙して語らず、されど


帰省中のことである。地元の公立図書館が、廃棄する本を処分する、早い者勝ちでどうぞというので出かけていった。私のように物色しにきたのは両手に足らないぐらいだったろうか。雨でもあり田舎ゆえのことだろうが、競争者が少なかったのは幸いだった。その図書館は、私が中学生になるかならないかごろに建てられたもので、昔はよく通ったものだ。そのころの記憶から、あまり期待しないで出かけたのだが…。

あるは、あるは。あ、こんなところに田山花袋が! こ、これは小説神髄の和綴じ復刻本? 碧梧桐の句集まで! あまり欲張ってはいけないと思ったが、探るほどに私は興奮し、しかも誰も手を出さないので、同行した兄と共に、片っ端から頂戴した。ある司書のお姉さんが、私を珍しがって、「こんなのはどうです?」といって抱きかかえるように運んできてくれたのは、なんと伊藤整編の漱石全集。どうやら少しずつ放出する予定だったのを、先に出してくれたようだ。ありがたい。

まだ洋書を探している兄を尻目に、ほくほく顔で車に積み込んだ私だが、やがて卒業後実社会に出たときのことを思い出した。私が初めて自らの口を糊したのは、見知らぬ田舎での塾教師でだったが、そこでいかに自分が、カプセルの中でそれまで生きてきたかを思い知らされたのだ。教えていたのは国語だったが、多くの子供たちは本を一冊まともに読み切ったこともなく、難しい文章を3行読み進めるだけの知的体力もないことに、愕然としたのである。

それを責めたり嘆いたりすることはたやすい。しかし社会の大勢がそうである以上、異常者は私だと心得るべきだ。地元の図書館が、本来ならば、仮に3年に1度しか読む者が無くても、公立施設としておいておくべき本を、放出せざるを得ない事情に思いをいたせば、当然その結論になる。昨今の事情から考えて、公立図書館で書庫の増設など認められるわけはなく、住民サービス向上を、需要に応じた品揃えと捉えねば廃止さえされかねないのなら、文学書のたぐいは廃棄されても仕方がないのである。

この事情は私の郷里に限らず、おそらく全国的に普遍化しているだろう。それが何を意味するかと言えば、家庭に余裕がなければ、知的訓練を積む機会が奪われるということである。私もまた貧しい家庭に育ったが、それでも両親は、日本と世界の文学全集は、子供の頃からそろえておいてくれた。そしてこの図書館である。

かつて早稲田大学の文学部に、小論文試験があった頃、「早稲田に行くなら、岩波文庫の10冊や20冊は、高校までに読んでいて当たり前」とお客様にコメントしたことがあったが、かつては確かにそうだったのだ。しかし今、そして今後はわからない。

確かに、インターネットで情報はとれる。文学作品そのものを、青空文庫で読むことはできよう。しかし、身近に物体としての本があるか無いかでは、知的な刺激を受ける機会に、超えがたい断絶がある。置かれた本は黙して語らないが、ただそこにあるだけで、知の世界に人を引き寄せるのだ。無論、悲しいかな受け手側に、その興味が持てないことはある。しかし知へ招く者としての本を、身近から遠ざけられた子供たちは、将来どうなるのだろう? そして我々の社会は、知的にますますやせ衰えていくのだろうか?

今私は、小論文の添削屋として口を糊しているが、職人そしてアキンドとして完結するだけでは、なんともさみしい。社会の中で、自分のしている仕事の意義を、やはり求めていきたいのだ。公的機関がそうした役割を、今日ますます果たさなくなりつつあり、社会もまた、そうした傾向を是としているように見受けられる今日、「効率化」のかけ声に隠れた不可欠な要素を、担わなければならないのではないかと思うのである。それを全うする余裕は未だなく、前途はさらに遼遠だが。
掘り出し物の1つ、福沢先生の『学問のすヽめ』復刻本。1度も手に取られた形跡がなかった。


(2008年 5月 5日 [Mon])

穴があったら入りたい


お客様に技能を指導することで生活している者は、常に研鑽を怠ってはならない。これは小論文の指導には限らない。何ゆえかといえば、それなしでは、お客様の役に立たないからである。無論、役に立たない→市場から見放される→自らの生活が危機に陥るという意味では、間違いなく自分のためだが、ここでの「→」が、「ただちに」を意味しているように、お客様の利益と自分の利益が一致しているという点で、これはどちらがニワトリでどちらがタマゴか、区別がないと私は確信している。

それゆえ私はじめWIEの添削者は、普段の勉強や読書を欠かさないし、ためになる本だと思えば、仲間で回し読みを勧めたりもする。そればかりではなく、たとえ有料であろうと公開されたものなら、同業他社の講演や講義を、拝聴しに行ったりもする。ここには、他社さんの偵察に行くという意図はほとんど無い。そのようなことを気にしている余裕は、私にはないからだ。むしろ気になるのは、私の知らない方法論や、全く異なった視点からの説明があるのではないかというおそれであり、それはとりもなおさず、他社さんへの期待である。

聞きに行った場合、学ぶことは多い。やはり人間には個性があるだけに、同じ問題をどう解決するか、すなわち同じ問題の解法を、お客様にどう説明するかという方法は、指導する人によって様々だ。たとえるなら、私は旅行に夜汽車を使うが、他社さんは新幹線を使うようなものである。ほぼ同じ時間に、同じ目的地に着くとしても、「そんな方法もあったのか!」という刺激は心地よいし、自分がお客様に提供している方法論を、見直すきっかけにもなる。より優れた方法論を見せていただければ無論、仮にお客様にとっての役立ち度が私のそれと同様でも、こうした経験はありがたい。

「人がいてくれることの有り難さ」という人間にとっての原則は、ここでも感じることができる。ただし残念ながら、行くだけお金と時間の無駄になりかねないこともある。上記のように、私と同等以上の熱意と技能を持って、問題に取り組んだ方なら聞いた価値はある。しかし、「なんじゃぁ、こりゃ」と講義の途中で思う場合が皆無ではない。てんでお客様の役に立たない話をしているというならまだしも、堂々とウソを語っているものさえ無くはない。その場合は直ちに、私は観察モードにはいる。すなわち、「何をすれば、お客様がうんざりするのか」という原則を、見いだそうとするのだ。

その原則をつらつら考えてみれば、実はビジネス論文での「やってはいけないこと」と共通するのに気付く。つまり、テーマと関係ないことを語る、あいまいで意味のない言葉をつらねる、典型的には、笑えない冗談をいうことである。「冗談」を漢語として読み下せば、「むだばなし」になるが、それだけ切り取ればたとえ「むだ」であろうと、お客様の緊張をほぐし、本質である技能の教授に役立つならば、それは意味がある。しかし本質部分である解法の説明がお粗末なのに、冗談でなんとか講義を乗り越えようとするのは、教える者としての怠慢に他ならない。

私の場合、ビジネス論文には、事前の準備が必要であることを強調する。それがないからこそ、意味のない言葉を連ねざるを得なくなるからだ。それだけならまだしも、下らない講演には、テーマを馬鹿にし、聞き手にとってどうでもいい自慢を言い、果ては聞き手を見下すようなものさえある。いかなる聞き手であれ、馬鹿にされれば怒るし、怒れば話し手を厳しく見、テーマへの軽蔑と話し手の自慢を、直ちに、話し手の自信と能力のなさの現れと断を下す。威を失えば教師は終わりだが、これはあらゆる文章にも共通する原則だろう。なぜなら、文章は書き手の人格を反映せざるを得ないからだ。

今、これまでの私の指導を振り返ってみると、この問題については気恥ずかしさに、穴があったら入りたい気分になる。では今なら大丈夫かというと、今この時点では大丈夫だと言う自信はある。しかしその永続性は保証の限りではない。指導する者として常に前へ、常に新しく、常に変わっていく、それがお客様と私にとっての幸福をもたらすタネであるならば、時間の経過とともに、私の入りたい穴は増えて当然だからだ。

バージョンアップが必要なのは、何もソフトウェアだけに限らない。お客様に役立つことでお金を頂いている以上、私のような人間も、またいつまでもベータ版であり、いつまでも未熟者なのだ。その後ろめたさが、お金を頂いたことと同様に、お客さまへの敬意を導くモトではないかと、先日退屈な講演を聴きながら、私はぼんやりと考えていた。

2008年 5月 3日 [Sat]

止まるか


小論文の課題となりうる今日的問題には、安全保障がある。無論これは、国家単位のそれであることが多いだろうが、ここで取り上げたいのは、むしろ個人の安全確保だ。この問題に関しては印象として、凶悪犯罪が増加しているような印象を持ちがちだが、実はそうではない(参考:少年犯罪データベース事件史探求社会実情データ図録)。

しかし治安の悪化が印象ほどでないにしても、福知山線の事故のように、人災と言うべき大規模災害は、会社その他の組織が確実に変質した今日、不愉快ながら増加せざるを得ないだろう。

しかしそれにもかかわらず、気になるのは銃の問題だ。銃犯罪は確かに減少しているのだろうが、これほどまでに国際化が進んだ今日では、以前と比較して本物の銃(マブチャカ)を手に入れやすくなったのは確かである。かつて、日本の治安のよさを支えるものを、銃の不在に求める事があったが、実は世をはばかるある種の人々が銃を持っていることは、誰でも知っている。

さらに、その業界の人はかつて、一見してそうですよとわかる格好をしていたものだが、今日では一般市民とほとんど見分けがつかない。何かと余裕のない現在、出先でちょっとしたいさかいを起こしたら相手がその手の人々で、いきなり銃をぶっ放されたらたまったものではない。

銃を持っているかいないか、さらに広げて致命的な武装の携帯は、かつての日本では、身分を象徴するものだった。早い話がお侍がそうだし、帝国時代の日本も同様だった。官と民の断絶が公式の事実だった当時、軍人は当然として、文官や有爵者もまた、サーベルを下げていたものである。一定以上の地位にあれば、鉄道省(国鉄)職員でさえ、ゴボウ剣を下げて通勤していたものだ。

ゆえに致命的な武器は、身分または職を示す制服とセットになっているのが原則であり、それは今日も、「原則としては」同様である。警官が常時銃を携帯するようになって久しいが、一見してお巡りさんとわかるから、銃を持っていても怪しまないのである。しかし上記の事情で、市民と見分けがつかない人々が、こうした武器を持っていてもおかしくはないとなれば、社会不安は嫌が応にも増大せざるを得なくなる。

ことは銃ばかりではない。ナイフ・包丁のたぐいによる、無差別かつ動機のあいまいな事件が、次々と報道されることは誰しもご存じだろう。無論、その件数は増大しているとは言えない。問題は、そうした事件があたかも普遍化したような印象を、社会が持ってしまっているということである。いつ自分の命が危険にさらされるかわからない、そうした不安が常識となれば、どうして見知らぬ他者を信頼出来よう。

実はこの信頼こそが、社会を成り立たせている重大なインフラだ。例えばかつて、日本の自動販売機は、破壊に対して極めて脆弱だったが、それは、重機などで金を奪うということを、誰も想像しなかったからに他ならない。通勤電車の混雑を我慢出来るのも、隣り合った人物が攻撃を仕掛けてこないという、信頼があればこそである。しかしそれは幻想だったと、今日では気付かれていることは、女性専用車の登場、あるいはさらに、その風潮に乗っかった痴漢でっち上げ事件が、雄弁に論証してくれる。

こうした共同幻想の崩壊は、もはや止められないのだろうか。社会はそこに参加する個人が多いがゆえに、一旦ある方向に動き出すと、そのモーメントを止めることは誰にも出来ない。誰にもどうしようもないから、滅びるものは滅びるのである。もしそうだとするならば、我々はどうやって生き延びていくのだろうか? 簡単に答えが出ず、解が無数にあり得るこの問いだけに、むしろ小論文の課題となる資格は十分にある。

(2008年 5月 2日 [Fri])

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