地道音楽家の小室哲哉氏の事件について、さる友人が面白い事を言っていた。「KEIKOさんのように、よく尽くしてくれる奥さんと一緒になり、安定した家庭を持ってしまった事で、かえってダメになってしまったのではないか」というのだ。なるほど面白いなと思った。事の当否はともかく、人は安定するとやる気を失いがちになるというのは、一般論として納得させられる。 そういえばパブロ=ピカソは生涯、燃え上がるような創作意欲を保ち続けた人だと聞いているが、友人のマティスが自宅を訪ねて帰った後、息子に「マティスおじさんの絵はすごいな」と言われてみるみる不機嫌になったそうだし、ありとあらゆる精力剤を、死の直前まで世界中から取り寄せては飲んでいたそうだ。あれほど名声に包まれた人でも、それに安定することなく、一般人ならばどうかと思われるような振る舞いさえあえてしていたことは、最後まで芸術家として枯れなかったことと不可分ではないように思われる。これはピカソだけではなく、黒沢監督もその一人だろう。 何か多大なエネルギーを消費するような活動を、人があえてするには、安定とは逆の、餓狼のような思いがなくてはならないのだろう。これは史上名を残すような人たちだけでなく、我々普通の人も同様だ。 勉強というのはそう簡単に成就するものではないから、よしやろうという決意にも、頑張ろうという持続力にも、ある種の餓狼である事を必要とする。今のままで十分であると思うならば、誰もこんな面倒くさい事をしようとはしないだろうし、やり続ける事も困難だ。特に小論文のような、幅広い知識教養を必要とする科目では、その学習には一層の餓狼さが求められる。 ただ、学習の餓狼になり、あり続けるためには、学ぶ事が将来花開くという見込みが必要だろう。これはつい最近まで、問題とされる事もなく当然とされてきた。勉強が将来の社会的地位をかなりの確率で保証したからである。つまり若い人にとって、これからどうすればいいかは明らかであって、あとは気力体力と、現状や将来に対する、「何もしないでは済まされない」という感覚の鋭敏さが問題になっていたわけだ。 しかし今、この確信が揺らいでいるように思われる。世界のあまりの激変に、勉強して高い地位に就く、あるいは自分の価値を上げることが、果たして効果的な戦略かどうか、わからなくなったためだ。そもそも、勉強が高い地位を保証するとも限らなくなった今日、この確信は揺らいでむしろ当然という気がする。 しかしなお、勉強は有効であると私は確信する。確かに、何をすることが将来の豊かさを保証するかはわからなくなった。しかし、この先どうなるかわからない時代だからこそ、個人の知的・肉体的能力を上げることが、唯一の対策になりうるからである。 住んでいる国の文明度が上がればあがるほど、人は目に見えず普段意識もしない様々なからくりで守られる事になる。これは、今日なお無政府状態にある地域を考えれば容易に想像がつく。年金のように、こうしたからくりが徐々に崩壊しつつある今日、崩壊が進めば進むほど、人は自分の身を自分で守らねばならなくなってくる。自分の身を守るのは、体力と知的能力にほかならないから、やはり先行き不透明なこの時代、体と頭を鍛えることが、最も有効な対策になるわけだ。 これから、どうやって生きていけばいいのだろう? 誰もがそう思う。 しかしその答えは、激烈な行動でも、具体的な「何か」でも、逃避や感覚の麻痺でもなく、地道な健康・体力作りと、勉強にほかならない。 (2008年 11月 22日 [Sat]) |
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